過去と他人は変えられない
変えられるのは自分と未来だけ
時には誰かに頼ったり、愚痴を聞いてもらいたい時もあるけど、 結局は自分で、自分の足で立ち上がらないことには、次へは行けない。 恐怖を恐れずに一歩踏み出すか、被害者のままでいるかは、自由。 私は、もっと楽しみたいから、自分で解決策を見つけて、進みたい。
そんな考え方ができるようになったのは、さかのぼること20年前。15歳で親元を離れ、アメリカの高校へ留学していた時でした。
アメリカ人家庭にホームステイさせていただいていましたが、半年経った頃、ある事件をきっかけに、ホストファミリーとの仲が悪くなり、ほとんど口をきかなくなってしまいました。
「私のホストファミリーって最悪」
「私にいつも怒ってる」
「私のことを理解してくれない」
「こんな家に来た私は運が悪い!」
毎晩友達との電話や手紙は、ホストファミリーの愚痴・悪口のオンパレードでした。
これって、いわゆる、依存ですよね。
相手がこうしてくれないから
→私は幸せではない
(私は悪くない)
相手がこうしてくれたら
→私は幸せになれるのに
(私は悪くない)
責任をぜーんぶ相手に押し付け
依存しまくりでした
しかしある時、私の愚痴に付き合わされていた友達が、ブチ切れました。

自分が変わらないと、なにも変わらないよ
最初は怖いけど、自分が変わってみなよ
自分が変われば、世界は変わるから
でも、でも、私は悪くないのに、なんで私が変わらなきゃいけないの!?
相手が変われば、私だって変われるのに!?
最初はプライドが邪魔をして、猛反発。
でも冷静になって、友達の言葉を受け止め、こんな毎日より最低なことはないだろう、騙されたと思って、やってみよう!と腹をくくり
次の日から、(煮え切らない悔しさを持ちつつも)ホストファミリーに積極的に話しかけるようにしました。
相手も人間ですから、すぐには受け入れてはくれなかったけど、自分から変わるんだ!とあきらめず自分に言い聞かせて、いつも帰宅後は自分の部屋にこもっていたところ、あえてリビングで過ごし、ついには「話し合いの時間をください」と申し出て、家族会議を開いてもらいました。
私の主張をつたない英語で涙ながらに訴えて、ようやく相手に理解してもらえて、ホストマザーの胸でわんわん泣いたのを覚えています。
(その時必死に使ったある単語が、意味が違っていたことに後で気づきましたが・・・
これぞ言語を超えたコミュニケーション!)
自分が変われば、世界は変わる!!!
これは真実。
体当たりで習得しました。
それからは、本当に楽しすぎる毎日で、笑顔がいっぱいの日々でした。大っ嫌いだった人たちが、大大大好きな人たちになり、この家族と一緒に過ごせて本当に幸運でした。
私の強さは、持って生まれたものではなく、生きていく過程で身につけたものです。
でもガチンコの時代も終わって、しなやかさが必要かな~、なんて思ったりもしますが、強くたっていいか!
弱い部分だってあるし、優しい心だってあるし、それが全部で自分なんだ!
自分なんて、あるようでなくて、ないようであるんだ!!
どこへ向かうのかはわかりませんが、引き続き、自分の魂に磨きをかけていきたいと思います。